SHACHU オーナー みやちのりよしPART1「優秀な落ちこぼれ」
編集長が話題の美容関係者を訪ね歩く『三浦の部屋』です!
人気が沸騰しても、なお話題を作って、さらに加速させるSHACHUのオーナーみやちさん。ユニコーンカラーにゲストが殺到し、入社したいという学生がたくさん集まる。あっという間に地方にも名前が轟くサロンになったのですが、その軌跡は短くも濃いものだったみたいです。(インタビューは昨年行ったものです。編集部の諸事情によりアップが遅くなってしましました。申し訳ありません)
編集長(以下/三):出身はどこだったっけ?
みやち(以下/み):岐阜県です。土岐市です。
三:そこに高校まで。
み:そうです。卒業して山野美容専門学校です。
三:どうして美容師になろうと思ったんですか?
み:父親が東大出身で、宮地塾っていう塾をやってるんです。母親もピアノの先生をやりながら、薬剤師の免許を持っているような、高学歴の家庭で。おじさんも医大で、今大学院の教授だったりして。小さい頃からサラブレッドと言われつつ、「早慶東大どこに行くんだ?」って言われながら、でも僕は全く興味がなくて。高校は進学校に行ったんですが、勉強に全く興味がなくて、ずっとやってた部活も途中でやめてしまいましたよ。16歳とかですね。ヒマすぎて、まあちょっとした不良ですよね。その時期に一人で名古屋に遊びに行ったり、単独行動が増えたんですよね。今になってそれが良かったのかなって思うのは、それが自分を見つめ直す時間になったんですよ。勉強をすごいやってた時期は部活もあって忙しすぎたんですが、何もなくなっていろんなことが吸収できたんです。名古屋の古着屋さんとか行ったりもして。そのころ、友達の髪も切ってたんですよ。美容に興味があるというか、髪を切るのが楽しくて。
ちょうどそのころ自分で名古屋の有名サロンに行った時に、髪をバッサリ切られて……それが寝れないくらいの衝撃だったんです。自分の人生が変わるくらいの。で、その髪に服が合わないから、服も買いに行って。そんなことをしてる時に「おれ美容師がいいな」って思いました。
家は高学歴でしたけど、母親も「あんたが好きなことすればいいよ」って言ってもくれてたんで、色々美容師について調べていたら、若くても自分が売り上げあげて頑張れば給料上がることがわかって。自分の実力で生活が変わるなっていいなと思ったし、服も好きだったので、自分に投資できる仕事はなんだろうとは思ってたんですよ。
三:投資って?
み:高校の時は制服で、私服の時間が短いんですが、美容師だったら毎日カッコいい服を着られるし、お客様もつくし、罪悪感も何もなく洋服が楽しめる。それで、やっぱいいなあと思って。
三:土岐市って、まあまあ地方都市だよね。
み:浮いてましたよ、おれ。だから高校終わったらソッコー名古屋行って。スナップ撮られたりもしてました。名古屋にもスナップポイントがあるので、その近くのロッカーにブレザー入れたりとか。
三:へー。それから、なぜ山野美容専門学校に?
み:日本一の美容師になりたいと思ってたんですよ。父が日本一の学校をでているし。その時一番は山野だと思っていたので、山野で頑張れば一番に近づけるかなと思って。
三:卒業して前の店に入るわけですが。なぜそこを選んだのですか?
み:一番ヤバそうだったからです。その当時一番勢いがあって、すごいと思ったサロンだったので。15年くらい前ですね。
三:美容師っていうものがどんな仕事かわかり始めたのはいつ頃ですか?
み:実際の現場は、専門の時から過酷と聞いていたんですが、僕はあまり過酷だとは思わなかったんです。専門の時も夜間のバイト入れて、朝から学校とかやってたので、余裕って思ってたくらいで。その点では辛くなかったんですが、過酷だったのはデビューしてから売れない時期があったので、その頃ですね。あの時に、自分が売り物になった時に、こんだけ辛い思いをすることがあるんだなっていう。
三:マインド的に美容師ってこういうものだなっていうのは?
み:それは今でも、昔でも思うのは、やりたいことはやっているから、辞めたいと思ったこともないですし。髪切ってお金もらえるのは楽しいので。ただし競争はすごいから、練習とかしないと。時給の発想でいったら死ぬな、って思ってました。絶対生き残れない。そうじゃなくて、どれだけ自分が追求したら売れるか、それが後から返ってくるし、それは比例するっていうことはわかりました。
三:収入的には?
み:それもわかってました。でも借金もしてました。服です。見栄というか。美容師なんだから、他の人よりも、営業中とかに着る装いとかは気にかけていました。美容学生とかも来るじゃないですか。希望を崩しちゃいけないなと。やっぱりおしゃれを楽しんでいる美容師さんの方がかっこいいと思っていますし。それは今でも変わってないですね。
三:アシスタントのころは何を考えていましたか?
み:負けるもんかって考えていましたね。自分に対しても、周りに対しても。
三:レベル高いところだもんね。
み:すごい人たちがいっぱいいて、日本一の高さを感じていました。そこにいてその高さが実感できて、逆に辞めて安心したところはあります。あの時はどんなに頑張っても上の人と差がつくばかりだなって思っていました。僕は独立してからの方が自分の可能性が広がったように感じています。自分でルールを作ることができるようになったし。
日本一のすごいところにいて、もしかしたら僕がうまく属せてなかったということかもしれないです。すごくお世話になりましたし、めちゃくちゃご恩がありますけど、チームの中では自分の力が発揮できなかったのか……。
三:アシスタントの頃に嬉しかったこと、辛かったことは?
み:嬉しいのは、やっぱりお客様にシャンプーが上手って言われたり、アシスタント指名されたり、スタイリストから「宮地をつけたい」って言ってもらえたりとか。誰かに求められたり、自分の技術が喜ばれたりするのはすごい嬉しかったです。1年目から。給料とか関係なかったですね。
きつかったのはその逆で、スタイリストの期待に応えられなかったりとか。できると思ってたことができなかったりとか。パーマがイメージとか違ってたりすると、スタイリストに謝りに行って。
三:デビューまではどのくらいかかりました?
み:5年以内くらいだったと思います。当時、他人よりちょっと早いくらいでした。でもデビューしたら辛かったです。当時景気が悪いのに美容師がいっぱいいた時代だったので、デビューしても売れなかったんですよ。
三:さっき言ってたことね。ちょっと詳しく。
み:アシスタントと違って、デビューすると売り上げっていう責任が出てくるんですよ。自分が売り物になるので。でも売り上げが上がっていかないで、5年くらいずっと。今は隠さず言っているんですけど、29歳の時に売り上げ50万円くらいで。それなのに独立したんですよ、借金して。何か変わらなきゃって思って。
三:えーーーーー!!
み:もともと自分の中で20代のうちに独立しようとは決めていたんですが。よくあるカッコいいイメージは、「大きな売り上げがあって独立して、お客様を連れて行って、大きい自分の城を出す」ということだと思うんですが、僕はどっちかというと、このままじゃダメだ、このままじゃ死んだ方がマシって思っていたので、もっと追い込もうと。そもそも自分のビジョンでは20代のうちに店を出そうとしていたし、売れてないから怖いものなかったし、失うものはない。借金は怖かったですけど。
三:当時は売れる方法ってなんだったんですか?
み:当時はモデハンですね。この話、テレビ番組の『しくじり先生』じゃないですけど、僕もしくじってて。当時配属されたのは銀座店だったんです。でも、たぶん僕のもともとのポテンシャルって原宿・渋谷なんです。ずーっとそこを見て生活していたし、遊びに行くのも渋谷・原宿だし。要は銀座のマーケットをよくわかってなかったんです。それなのに銀座店にいた先輩が大好きだったので銀座のお店にこだわって。好きな先輩がいるところで売れたいって。
それでしくじりその一が、デビューするときに「フリー(指名なし)のお客さんはいらない」って言っちゃったんです。自分は若いお客さんをやりたかったし、ハイトーンをやりたかったんですよ。だから渋谷・原宿でモデハンして、銀座まで引っ張ってきてたんですよね。
三:へー。
み:だから僕のお客さんは10代、20代しかいなくて、めっちゃ若い。金髪、ブリーチ多かったし。でも、そのころの自分は子供だったなと思うのは、銀座というマーケットを無視してたんですよ。もっとエリアにアジャストすればよかったのに。後輩は銀座に合わせたスタイルをやっていて、僕よりも全然売り上げを作ってましたけど、僕は悔しいんだけど、それはやりたいと思わなかったから……「やりたいことをするために美容師になったのに、やりたくないことをしなくても」と思ってました。その結果が50万円なのに。で、いざ独立して「自分は渋谷だな、渋谷は宝の山だ」と思っていたので、好きなことやったら2年で600万円くらいいったんです。月。すごくないですか? 50万円からですよ?
三:けっこうキツい時期だったってこと?
み:そうですね〜、SHACHUはじめてやっと花咲いたって感じです。悔しい思いがめちゃくちゃあった……でも花咲いた。だから、売れていない子の気持ちが超わかるんですよ。全部うまくいってる人だとわからないだろうと思います。今の僕は全てわかってあげられます。先輩の助言が入ってこない時期や理由とか、そういう時はあえて何も言わないようにするとか。
三:当時はどんな美容師になりたいと思っていたんですか?
み:今の自分、こんな美容師です。好きな服を着て、好きなデザインでやって。カラーとかもデザインが効いてるスタイルを作って、話題になるという。SHACHUではユニコーンカラーとかやってますけど、理想通りです。
三:じゃあ今の現在位置って、思っていた通りになってきた感じですか?
み:自分が20歳くらいにイメージした通りに、やっとなってきたんじゃないですかね。
三:なるほど。じゃあ美容師辞めたいと思った時はなかった?
み:もうバカすぎるくらい真っ直ぐだったので、諦めるっていうのがなかったんです。諦めていたら、銀座でコンサバをやっていたと思うんです。諦めてなかったので……その選択肢はない。もちろん結果が出てないからめちゃくちゃ言われますけど、それは試練です。だから美容師を辞めるっていう選択肢もなかったです。ただ独立するという選択肢だけがありました。
三:よく自分を諦めなかった!
み:だから、今こんなやつがいたら助けられます。でも前の店でも、先生には目をかけてもらっていました。お電話で話すこともあったし、あれが自分の中で大きかったなというか。結果が出ていない僕に時間を使って、根本のことを教えていただいたので。努力することの大切さとか、創造をやめないこととか、考え続けないと腐ってしまうとか、たくさん教えていただきました。それが今も生きていて、すごいと思っています。僕は今でも先生は尊敬していますし、尊重していますから。本音で。
過去、いろんな美容師さんをインタビューしてきましたが、ドラマを持っている美容師は「ポテンシャルをどう生かせばいいのか道がわからなった」ことが共通している気がします。そして諦めなかったこと。その原動力はお金だけではない。PART2へ続きます。
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